コミュニケーション能力がないと悩む前に考える重要なこと

あなたがコミュニケーションが取れないのはあなただけのせいではありません。コミュニケーションは相手がいて初めて成り立つものです。なのでもしあなたが悩んでいるのなら最後までしっかりと読んでください。

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原因はあなただけにあるわけではない

前回の記事では、コミュニケーションがうまくいかない原因として、自身がコミュニケーションに重荷を感じ、その影響を受けてに、素の自分を出せなかったり、対人関係は頓着しない人にマイナス感情を持ってしまうということを挙げました。

⇒前回の記事「コミュニケーションがうまくいかない2つの原因とは?

 

そしてコミュニケーションがうまくいかない原因を思った時、あなたは「自分のがんばりが足りないから」「自分のコミュカの弊害」「自分がもう少し気を利かせなければ仕方ない」という風に、自分の言動にばかり原因を求めてはいませんか?

自分がさらに社交的にならなければならないと思ったり、苦手な人とも耐えて付き合っていくことが求められると、思い詰めてしまったりはしませんか。

ですが、原因を自分にばかり求めるのは果たして正しいのでしょうか?

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コミュニケーションは一人では不可能

あなたと相手が居てそれがあるからこそうまく行くのですから、そこで起こるあらゆることについても、あなたと相手という二つのファクターを一緒に想定しなければ、正確な原因を探しだすことはできないのではないのです。

 

コミュニケーションがうまくいかない場合、自分の言動についてであればあなたは正確に検証をすることが可能ですが、相手の態度については、それが何を望んでいるものなのか、正確な理由はその方しかハッキリしません。

あなたはその原因を憶測することは可能ですが、真実を知ることは不可能なのです。

相手の意図を推測するということは、解答を知ることができないことについて熟考することですから、その取り組みを重荷に感じるかも知れません。

よって原因を求めるにあたり、あなたは時間を取られない方法として「自分だけに原因を求める」ということをしているかもしれないという可能性を考えてみてください。

自分のがんばりが不足しているから、という言葉は、律儀で耳に心地よく、自分に充実感のある表現法です。

 

しかしあなたはそこで思考停止状態が発生してはいませんか?

あなたのコミュニケーションがうまくいかない時、その原因の一方はあなたにあるかもしれません。

しかし、もう一方には相手の存在もあるということを理解しましょう。

背景に潜んでいるのはあなただけにあるわけとは違うのです。

コミュニケーションをうまく取れないのは相手が悪い?

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だからと言って相手が悪いというわけではありません。

その原因が相手だけが持っているものでもなく、うまくいかない時は両方ともにプレッシャーをかけあっていると捉えるのが、一番リアルな考え方だといえます。

あなたが自分のコミュニケーション力をアップさせようと努力するのは良いことですが、一方で、自分がどう頑張っても変えられない部分があるのだと踏まえておくことも大事な部分です。

自分の固定観念を捨てよ!

さて、人間関係にはあなたと相手という二つのファクターを同時に考えることが求められることはお伝えしました。

これまでコミュニケーションがうまくいかない原因をあなた自身にばかり求めていたという人においては、新しい見解ではないでしょうか。

  • 「コミュニケーションがうまくいかない」
  • 「自分はコミュニケーションが苦手なのかもしれない」

そのように思う人にとって、コミュニケーションにはある種の型があり、自分はその型を会得しなければならないと心底思いがちです。

例を挙げれば「ビジネスマナー」や「食事のマナー」と言われるのが存在します。

そういったものは会得しておくことによって、統一された条件をシェアする人の間で、お互いのコミュニケーションを簡略化・最適化したり、マナーを遵守することで、両方ともに不快にならないよう、上手に距離を取る効果があるものと言えます。

ビジネスマナーや食事のマナーも、コミュニケーションの中においての一つの選択肢です。

お堅い人ほど、ビジネスフィールドでは、ビジネスマナーを、食事の際は、食事のマナーを、交流には、人付き合いのマナーを厳格に適用することがよくあります。

ではありますが、マナーは何だかんだ言っても物事を簡単にしたり、相手を不快にさせないための「了解ごと」や「細やかな心遣い」であり、それが法律ではないです。

 

人付き合いにはマナーがありますが恐らくあなたの中にも存在するのでしょう。

しかし、それは周囲の人に認められる、絶対のルールと言えるのですか。

マナーは絶対的ルールではない

分かりやすく言うと、先輩と同僚がタメ囗で会話をしていたとします。

あなたの中のルールで言えば、先輩にタメ囗で話す同僚の素行は問題外といったところでしょうか。

ですが、あなたがどう思おうとも、先輩と同僚の中で円滑に意思疎通が図れている以上、そのコミュニケーションはスムーズに行われていると言っていいのではないかと思います。

 

それとは反対に、あなたが「目上の人にはきちんとした敬語でマナーよく喋らなければいけない」と決めてかかることによって、先輩や上司との談話がかたくなって、ぎくしやくとした会話しかできなかったといったことは、過去にありませんでしたでしょうか。

 

コミュニケーションに絶対的なルールはありません。

自分と相手との間でコミュニケーションを図ることができていればそれで成功なのです。

正確な言い方ができなかった。

自分の頭の中で思っていた言葉と異なることを喋ってしまったといってへこむことはありません。

また、オリジナルのルールにシビアになりすぎて、常に相手の言動を採点してはいることはないですか。

コミュニケーションが取れないのは自分ルールに縛られている可能性も

ルールをシビアに適用したからといって、それが正確なコミュニケーションだとは言い切れません。

「コミュニケーションとはこういうものである」という固定観念に縛られて、全てをその固定観念に当てはめようとしたり、あなたの中に存在するルールにそぐわない人をシャットアウトしている場合もあるでしょう。

しかしここで大事になってくるのは、あなたのルールをシビアに適用することよりも、あくまで、相手と自分のコミュニケーションがスムーズに実行されているかどうかです。

 

そうするためには、ルールにそぐわない相手の態度も許容することが必須です。

もしもタメ囗をきいてくる後輩がいたとして、あなたはその後輩にどんな風にして対応するでしょうか。

もちろん、大人としてのルールを教えるという部分で敬語の使い方などはレクチャーしなければならないと思います。

 

しかし、その後輩と自分の中だけで、タメ囗のほうがコミュニケーションが簡単となった時、あなたにはその後輩の喋り方を「承認する」という選択肢もあるのです。

あなたは自分の中のルールにシビアになりすぎてはいませんか。

これらの問題点を乗り越えることによって、あなたのコミュニケーションの選択肢はかなり広がると考えられます。

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