あなたには、「嫌いな人とでも友好的にする必要がある」といった固定観念はないでしょうか。
今回はそんなあなたのために嫌いな人との付き合い方をご紹介します。
「コミュニケーションはどの人が対象でも何も無いところから始まり、あなたの頑張り次第で値がアドバンテージになったり、ダメージを受けたりする」
ほとんどすべての人はコミュニケーションに関してこんな固定観念を持っています。
ですが現実的には、そう易々と値に還付できるものじゃないのです。
概要
コミュニケーションに一番必要なのは相性である
交際に最も反映されるのは、あなたの所作でも、むこうの性質でもなく、ただ単に「相性」だという面が非常にでかいのです。
初対面の人と同調し、どんなネタを振っても気持ちよく会話できて、あなたのリアクションもナチュラルだと気付いた体験はないでしょうか。
逆に、はじめて会った人との間で、元々空気が重たく何を言ってもうまく意思の疎通ができずに聞き返したり、リアクションが曖昧になってしまって、のちのち思い返してみて恥ずかしくなった思いをしたこともあると思われます。
そんなふうに、相手とウマが合うかによって、仲間付き合いは大きく変化してきます。
相性は性格と結びつきが無い
相手が悪人などではなく、それとは逆にとても優しい人なのにうまく会話ができないということは起こり得ることです。
あなたが相手にどれだけ配慮しても、相手がどれだけ素晴らしい人でも、相性の善し悪しによっては、想定したようなコミュニケーションが出来かねます。
それでは、このようにソリが合わない人とは、どのような距離感で接すれば正解なのでしょうか。
「誰とでも友好的にする必要がある」という固定観念がある場合、ソリが合わない人が相手でも、がんばって仲良くする必要があると思いがちです。
具体的に言うと一口に「仲良くなる」と言ったとしても、その仲良くの中には多種多様な種類があります。
- 気軽にあいさつができる。
- 天候や職業のことなど、なんてことはない世間話ができる。
- 関わりを持ってランチに出かけることができる。
- 一緒にお酒の席に行ける。
- プライベートでも一緒に楽しめる。
前者ほど交際が浅く、後者に行くにつれて深くなっていきます。
こういった風に、「仲良くする」を考えた際、多くのコミュニケーションが苦手な人は、究極的な目標を、「プライベートでも一緒に楽しめる」に設定してしまっているように思えます。
相性が悪く、嫌悪感がある人と、プライベートでも一緒に遊び歩くような関係を築くことを可能にすることができるでしょうか。
十中八九困難でしょう。
なぜかと言うと、相性というものは意図してどうこうとできるわけではなく、身体的なものであるからです。
身体的に相手の所作や仕草、話し方などが自分にそぐわない場合、それはもう、どう注力したからといっても改善が出来るケースが少ない、仕方のない事なのです。
ビジネス的な、事務的なコミュニケーションは仕方ありません。
ソリが合わない相手と話をしていて、堅苦しくなりしまったりする際には、自分が何を言いだすか自分でも判断ができなくなるものです。
自分のリズムを保つことが難しいと感じるならば、不要なおしゃべりで不利益を被ってしまうのを避ける意味でも、一歩引く、ということも一流の方法なのです。
嫌いな人とは絶対的に友好的にしなくてもいいのです。
もちろん、多くの人と適切な関係を構築する事ができるのは一番良いでしょう。
ですが、どうしても思った通りに行かないと分かっている人に、あえてあなたからアプローチすることはありません。
良くも悪くもない距離をキープしていればそれで十分なのです。
嫌いだと思った時の距離感は?
嫌いな人とは強引に友好的にせず、一定レベルの距離感を保っていれば問題ないと解説しました。
それでは、一定レベルの距離感とはどんなレベルかと疑問が起きるはずです。
「そこそこの距離感」ほど抽象的なものはありません。
絶妙な距離感を取るのに疲弊してしまって、知らず知らずに相手の悪い箇所を見出して、意図して嫌おうとしたり、やたらとよそよそしくなってしまい、相手に引かれてしまうかも知れません。
ならば、相手のことを嫌いだと思った時、そこそこの距離感を保つ手段にはどういったものがあるでしょうか。
二人きりにならないことが重要
あなたと相手のツーショットだと、相手の振る舞い、またあなたの態度が、すべて両者だけに向けられてしまいます。
それゆえにうまくコミュニケーションができなかったり、体裁が悪い思いをしたとき、お互いが相手に対してよろしくない印象を持ってしまうことが考えられます。
そこにもう一人、あなたと相手の間にワンクッション置いた状況をつくるのです。
そして、あなたは第三者の話に相槌を打って、相手の談話への対応は第三者にまかせてしまえばいいのです。
二人っきりの沈黙は黙っていてもよい
そのほか、あなたと相手が二人きりになったとします。
沈黙で、場が静まりかえってしまって、無理矢理に何かを話さなければと考えるかもしれません。
しかし、その雰囲気のままに焦って出した話のたねはたいてい不発に終わり、盛り上がりに欠けて一段と気まずい雰囲気になる可能性もあります。
そういった風に相手と二人きりになったとしても、無理矢理に話す必要はありません。
あなたが気まずい思いをしているときは、相手もほぼほぼ気まずい思いをしているのです。
あなたが相手からの印象を案じている時、相手もあなたが抱く印象を心配しているでしょう。
その場の空気が重たいものだとしても、それは決してあなた一人の責任ではないのです。
したがって臆することなくいましょう。
嫌いだと感じることは間違いではない
前項でもご説明をしましたが、人間と人間との交流ですので、そこには必ず相性という物が非常に大きい役割を担います。
あなたがあちらと仲良くありたいと考えたとしても、むこうから友好的に対応してもらえた場合でも、ずっとコミュニケーションを持続する中で、テーマやテンポが息の合わないといったことが何度もある可能性もあります。
思い通りにならない交流を重ねていく内で、あなたは対象者とのやり取りにマイナス感情に襲われしまい、それが理由で、相手のことを嫌いだと考えてしまうのではないでしょうか。
そうした際、あなたは自分が相手にマイナス感情を持っているということに、うしろめたい気持ちを感じることもあるでしょう。
何か意地悪をされたわけでも、不愉快なことを口にされたわけでもないのに、相手に対し距離を感じてしまう。
どんな相手とでもあっさりとコミュニケーションをはかっている人を見ると、その人が交際を苦手だと思わないという所に羨ましさを感じることもあるかもしれないですね。
相手にマイナス感情を抱いてしまう自分を、恥ずかしく思うかもしれません。
ですが、あなたが人付き合いを不得意だと感じていらっしゃるように、人付き合いが上手なように見える人も、案外人付き合いには慎重になっていますし、このような人にも苦手を感じる人はいるものです。
人付き合いに苦手意識を抱えたり、誰か決まった人を苦手だと感ずることは、一人の人として当たり前のことなのです。
とは言っても、人付き合いが上手なように見える人は、そういった風に見せることがやれている分だけ、あなたよりも幾らかは器用であることは確かです。
あなたが苦手だと感じても、それを勘づかれないように愛想よく振る舞ったり、相手によって間をうまく取ることが可能な人はいるものです。
あなたが人付き合いを苦手だと感じたり、誰か決まった人に苦手意識を持ったとしても、その部分に後ろめたさを感じることはありません。
あなた自身が相手を苦手だと感じてしまうから、相手も自分のそんな気分を汲んで距離を感じてしまい、コミュニケーションがギクシャクして、それ故コミュニケーションがスムーズに回らないのではないか。
そう考え、ますます自分にコミュニケーション能力が一切無いことに嘆くこともあるでしょう。
とは言え、コミュニケーションが「相性」をバックボーンとしているものである以上、思い通りにならない原因も「相性」であり、これ以上もこれ以下の原因はありません。
そう言われれば、「自分が相手に苦手意識を有するから思い通りにならないのではないか」という根拠はもっともらしく聞こえますが、苦手意識を持つのは仕方のないことですし、仕方のない事で自分自身の評価を低下させるのは、とてももったいないことですよね。
苦手意識を持つのは間違いではないです。
誰しも当たり前に持つ感情であるということを覚えておいてください。
あなたが嫌いだと思うときは十中八九相手もこちらを嫌いだと思っている
前項でもご説明したとおり、うまくコミュニケーションができないということは間違いではなく、仕方のないこととして妥協することが必要なのですが、とは言ってもやはり、あなたが先方に苦手意識を抱いてしまっており、相手とのコミュニケーションが思い通りにならないと思っていることについて、相手に申し訳なく感じるかもしれません。
コミュニケーションのベースには相性というものがあることはご説明しました。
あなたが相手との相性を良くないと感じている時には、相手も同じことを考えていることが殆どです。
あなたは相手と意思疎通が上手く取れないことに罪悪感を感じ、どうにかこうにか相手とコミュニケーションを図ろうと相手に話したり、対話をしようとしたりするなどの働きかけを使用とすることがあると思います。
ところが、相手もあなたのことを苦手だと感じているのですから、相手にとってあなたが話してくるということは、苦手な人間がしつこく自分に付きまとってくるのと一緒だと認識されてしまいます。
相手に好感を残したいと考えてもあなたが相手と意思疎通を図り、関係を良くしようと働きかけをすればする程、相手はあなたのことを重たく思うでしょう。
さらには、なぜこれだけ執拗に付きまとってくるのか。
厄介がっているのだから、空気を読んでいただけないかと、そのように考えるでしょう。
と友好的に、うまくコミュニケーションを図らなければならないと思い、また、意思疎通がうまくいかない背景を自分にばかり要求するあまり、相手の感情に鈍感になってしまうケースがあります。
コミュニケーションとは自分の世界だけで完成するものではなく、相手が存在しなければ成立しません。
その相手から敬遠されている場合、半強制的に相手の心をこじ開けようとしても、それは無理なチャレンジであり、ますます相手を頑なにさせるだけに過ぎません。
あなた自身が苦手だと思う場合、相手もあなたのことを苦手だと思っている。
コミュニケーションが無くなってしまったとしても、双方ともに傷つけ合わないと考えるだけで、前向きであると捉えることが可能な時もあるのです。
いかがですか?
嫌いな相手には無理にこちらが気を使ってアプローチしていっても、向こうもあなたに対して嫌悪感を抱いている可能性があるので逆効果になります。
そういう場合は、無理にかかわらず沈黙が一番のコミュニケーションである場合もあるのです。
相性が合う人とであればコミュニケーションが円滑に進み、談話の中で楽しくなるアイディアが次々と湧き出したりもします。
ソリが合わない人とだと、それまで感じてもいなかった消極的な考えに襲われたり、自分の話の方向性を見失ってしまったりすることがあります。